585『ボクがボクであるために』

1.ボクがボクであるために(1)

「だから…、ずっと付け足してきたんだ。」

今までのもので納得できないなら、
代わりのものを見つけ次々に付け足していく――
そうすれば自分ができあがるはずだ、という思想のもと、
カブトはあの日以来それを繰り返してきました。

「だから欲しいのは君の説教じゃなく、君の能力と情報だよ。
 …木ノ葉の忍であり有名なうちはの血族であり、
 万華鏡を開眼した写輪眼を持ち…、
 多くの秘密を持って戦争を止め…、
 …多くの術と力を持っていた。
 イタチ…君は君を君たらしめる多くのものを持っていた。
 ボクの穢土転生にこれ以上の適役はいないよ。
 ボクのコマはボクの力そのものだ。」

だからこそ、カブトにとっては、
自分の所有する何か――名前だったり、情報だったり、能力だったりが、
自分という存在を表すもの、自分そのものという考え方が培われてきたのです。

「買いかぶりだ…。現にオレは失敗した。」

信念を貫き通したつもりが、
望んだ結果につながらなかったことをあげて、
イタチはカブトの言葉を否定します。
そういったものがあっても、
"自分"という存在が確立されるわけではない――

「イヤ…、君らの前で、うちはの名など、と強がってはみても…、
 やはりその名には羨望するよ。」

"うちは"という名を持っていることへの羨望。
カブトはそれを素直に口にします。

「うちはという名はあくまで血統<ルーツ>や所属を示す。
 お前が名乗ったところで意味はない。」

とイタチ。その言葉がカブトの琴線に触れます。
怯えていたあの頃を――自分が何者なのか、
どうしてこの世界に存在するのか分からなかったあの頃を思い出しながら、
強くイタチの発言を否定します。

「意味はあるのさ。」

"持てる者"と"持たざる者"の差――
有ればこそ、その無意味さが分かる。
一方で無ければこそ羨望し、欲する。
所詮、本質はそこにはないというのに、
そこに気づくことができないのもまたヒトの常。
万人の名前がそれぞれ違うように、
万人にそれぞれの正義と信念がある限り、正解なき戦いは生じる。
そしてその切欠が多くは"持てる者"と"持たざる者"の差です。

大蛇丸様はこう言ったよ。
 自分が何者か知りたければ――
 この世のあらゆるものと情報…、
 それらを集めつくしさえすればいいってね!」

かつての音隠れの五人衆の術を使い始めるカブト。
その人物の形まで象って見せる凝り様です。
左近の《双魔の術》から次郎坊の《土遁・土陸返し》、
そして鬼童丸の《蜘蛛巣開》でイタチ、サスケを閉じ込めます。
鬼童丸の糸は斬れないことを知っているサスケは、
イタチとともに天照を発動させて糸を焼き尽くします。
間合いをとったところで今度は君麻呂の《屍骨脈・早蕨の術》が二人を襲います。

「後ろの奥までクモ糸を仕掛けてやがったか!
 後ろはオレがやる! 兄さんは前を!!」

背後にも逃げ道を断つように《蜘蛛巣開》が展開されていました。
サスケ、イタチはそれぞれが《須佐能乎》をまとい、
サスケは《須佐能乎》と《天照》を組み合わせた《炎遁・加具土命》で
《蜘蛛巣開》の糸を切り開き、
イタチは迫りわき立つ《早蕨の術》による棘を破壊していきます。
そうやってうまく間合いを離したかに見えましたが、
この機を狙っていたようにカブトは多由也の《魔笛・夢幻音鎖》を発動。
回折した音は物陰に隠れていた兄弟を幻術に落とします。

「お得意の須佐能乎も音までは防げないよね…、やっぱり。」

としたり顔のカブト。
前の記事でも言及しましたが須差能乎は決して密閉絶対空間ではありません。
したがって音や空気の出入りを断つ事ができていないと見えます。
完全に油断していた二人は、音による不意をついた奇襲にまんまとかかってしまうのです。

2.ボクがボクであるために(2)

「…これで動きを止めた。…後は、大蛇丸様で取り込むだけ。
 どうだいサスケくん覚えているかい?
 今のこのボクの姿を…」

カブトが蛇の表皮とチャクラを粘土のように練り模した大蛇丸の姿。
それが今度は大蛇のような禍々しい姿に次第に姿を変えます。
まるで大蛇丸がよみがえったかのように、完全に再現させます。

「カブト…、お前は大蛇丸じゃない。
 尊敬している存在を真似るのはいい…。
 だがその存在に己を同一化するな。
 お前が…その存在そのものになれる訳じゃない。」

尊敬する存在――
それは己を高めてくれる、成長させてくれる存在。
ゆえに、その人物の良きところ学び、己に取り入れる行為自体は必要。
しかしそのものに成り替わる同一化をしたところで、
決して"自分"という存在になり得ない。
なぜなら"自分"は"自分"なのだから――
イタチはもう一度カブトのやり方を否定します。

「人の多くは何をするにも、
 まず真似事から入るものだよ。
 サスケくんが君を真似していたように。」

何が悪いのか――
イタチの言葉を突っぱねるようにカブトは返します。
それでもイタチは首を横に振ります。

「その行為は己が成長するための過程だ!
 お前のように己を偽るための頃もとして使うな!」

真似は過程に過ぎない――
決してそれが自分という結果足り得ない。

「自分自身の値打ちを称賛に値するものに結び付け、
 自分の存在意義を見出そうとしても、そこには何もない。
 最後にもう一度言う。
 嘘をついて、己をごまかすな。
 己自身を認めてやることができない奴は失敗する。」

名誉や称賛の中に"自分"の存在意義はない。
それらは全て自分によって成されたものかもしれないが、
決して自分自身そのものではない。
そこに"自分"を見出そうとするから、
袋小路の迷宮の中に迷い込み、本来の"自分"を見失う。
自分をいつまでも認めることができない――

「今の…ボクが失敗する?
 どうやって!?」

カブトはやはり持てる者であるイタチの言葉を受け入れることはできません。
兄弟に向かって飛来する大蛇丸(大蛇)。
幻術にかかって身動きとれない状況ですが、
互いに写輪眼による幻術をかけあってカブトの幻術を強制的に解除します。
そして飛来してきた大蛇丸を須差能乎の手が摑まえるのです。

「これよりイザナミに入る…。
 お前はもう…失敗したんだ…。」

逆にピクリとも動かなくなったカブト。
攻防の隙をぬって、どうやらイタチがようやくイザナミを発動させたようです。
しかし決まったかに見えた瞬間、
大蛇丸の大蛇の口から現れたカブト。イタチを一刀両断します。

「全てを持ってた天才には分かりようがないよ。
 …ボクはボクをボクにしたいだけさ。
 誰にも邪魔はさせない。」

目には涙のようなものを浮かべながら、カブトは最後の最後まで抗います。
悲劇にまつわる悲しき自分探し――
そういう過去があるから、そういう事にして、
その自分の狂気を正当化しようとしているだけ。

4話前『それぞれの木ノ葉』の記事に私はそう書きました。*1
サスケにも同じようなことが言えるでしょう。
しかしサスケやカブトはともすると"人"の部分があるからこそ、
そうやって"自分"をつくりあげていくことに執心したともいえます。
人は弱いからこそ、何かにしがみつかないと不安で仕方ない。
だからこそ"持てる者"と"持たざる者"が生まれ、
争いが生まれ、憎しみが永劫消えることない。
そんな人の性<さが>を提示してみせた今話。
深く考えさせられます。
イタチが決着のときどんな言葉をかけるのか、
ナルトはこれにどう対峙していくのか――