軽視されがちですが、

  • ナルトがサスケを追う理由
  • 木の葉がサスケを追う(のを許す)理由

は重要な伏線だと思います。
今回は特にその中でもナルトがサスケを追う理由、
ナルトの個人的な理由に関して考えてみます。

1.前書き

ナルトがサスケを追いかける理由。それはただ単に

  • 第7班の班員だから
  • 自分を認めてくれた友達だから

というだけの理由では割り切れないでしょう。

  • サクラとの約束を守るため

というのもあるでしょうが、それではナルトとの"つながり"がいまいち弱いです。
サスケの目的であるイタチへの復讐――
ナルトはその目を覚まさせて、木の葉に連れ帰ろうとしています。
しかしかつての木の葉の仲間やナルトを拒絶するサスケ。
それでもサスケを強引に連れ戻そうとするナルト。
この点だけに注目してしまうと、
どうしてサスケを追っているかのピントが甚だずれてしまいます。
ピントを合わせるためには、二人の人物の生い立ちが手がかりをくれそうです。

2.ナルトと我愛羅の孤独

ナルトは幼い頃はまさに孤独でした。
九尾の人柱力であるがゆえ、疎まれ、蔑まれ…
誰も彼もが忌み嫌い、そんな中で生きてきました。
おそらく彼を保護してくれる人、彼の生い立ちを知っていて理解している者も
ごく少数はいたと思われますが、あって無いに等しい状況です。
決してナルトの心には響かなかった。
ナルトは孤独と絶望の中で幼少時代を過ごしたわけです。

我愛羅も同様に孤独と絶望の中で幼少時代を過ごしてきました。
そして鬱屈した思いを自分の中に溜め込みながらも、
自分を導いてくれると思っていた夜叉丸に裏切られるという
さらに襲い来る悲劇にとうとう自分の殻に籠もらざるを得なくなり
自分しか愛さない決心をした――自分しか愛せなくなってしまったわけです。
額の"愛"という文字はそれを物語っています。

しかし、我愛羅と違ってナルトには幸か不幸か、
ナルトの心に届くまで手を差し伸べてくれる人が現われました。
イルカ先生です。
ナルトのその当時の問題児ぶりといったら――それは凄いものです。
火影の顔岩に落書きなんてのはほんの前書きに過ぎないでしょう。
ですが、イルカ先生はそんなナルトに理解を示してくれました。
それも偽者っぽい飾りだけの理解ではなくて、本物の理解です。
ナルトの孤独や寂しさを理解してやれたのです。
人とは不思議なもので、理解を示してくれたものには素直になれます。
そんなわけでナルトは殻に籠もりかける寸前、心を閉ざす寸前で救われ、
自分以外の何者も受けつけないほど他者を拒絶するまではいかなかったのです。
これは他者を思いやるという気持ちを(無意識のうちに)知るきっかけにもなりました。


ナルトと我愛羅の決定的な違いは、
自分の苦しみを理解してくれる本当の理解者が現われたか否かです。
本当にその苦しみを理解し、その閉ざされていく心に手を差し伸べることができて
手を引っ張って導いてくれる者がいたかいないかで、
この二人の運命は大きく分岐してしまったわけです。
理解者らしき存在で理解者でなかった夜叉丸と、
本当の理解者であったイルカの差でもあります。

3.サスケの孤独

他方、サスケはもともとは孤独ではありませんでした。
恵まれた家庭、いつかは父や兄のような立派な忍になる――
そう誓って多少兄へのコンプレックスを抱きながらも、
すくすくと育っていきます。
しかし、その幸せな日々は一族虐殺事件でパタリと途絶えてしまいます。
父、そして母を失ったサスケ。
そしてそれを引き起こしたのは兄――他ならぬ兄自身の口から聞きます。

「貴様など…殺す価値も無い。…愚かなる弟よ……。
 このオレを殺したくば恨め! 憎め!
 そしてみにくく生き延びるがいい………
 逃げて…逃げて…生にしがみつくがいい。」

兄からの突き放されたかのような言葉。
兄からの言葉を反射的に受け止めてしまったサスケは、
それが自分の本来の目的だと刷り込んでしまったのです。
サスケは理解者でいてくれた母ミコト、理解者であったはずの兄イタチを同時に失い、
途端に孤独の沼へと引きずり込まれていってしまいます。
そして人に素直ではいられなくなり、一人で全てを背負い込んで、
ひたすら兄に復讐することだけを目的に生きることにしました。

4.ナルトとサスケの違い、二人の孤独の違い

ナルトもサスケもともに理解者に巡りあえています。
しかしサスケの理解者はサスケを変えた事件で全ていなくなり、
サスケははじめて孤独に立たされます。
ナルトとサスケの決定的な違いはここで、
ナルトははじめ孤独であって後に孤独でなくなったのに対し、
サスケははじめ孤独ではなかったのに孤独となってしまったことです。

「親も兄弟もいねえてめーに…オレの何が分かるってんだよ…」
「初めから独りきりだったてめーに!! オレの何が分かるってんだ!!! アア!!?」
「つながりがあるからこそ苦しいんだ!! それを失うことがどんなもんか、お前なんかに…」

サスケがナルトに吐き捨てた台詞。
まるで自ら孤独を選んでいるかのように喋っているサスケ。
それに対してナルトは、

「ホントの親子や兄弟なんて確かにオレにゃ分かんねェ…」
「オレにとっちゃ……やっとできたつながりなんだ。」

と答えます。

サスケははじめから孤独でなかったから、失って孤独を知りました。
逆にナルトははじめから孤独で、ようやくつながりを手に入れたのです。
でも、サスケは本当に孤独かといえば孤独ではない。
事実、ナルトやサクラのように追いかけてくる者もいますし、
大蛇丸がいたときもそうですし、蛇の小隊のメンバーだってそうです。
何より復讐すべきそして超えようとしている「兄」を意識しているサスケには、
つねにイタチがサスケの傍にいるのです。
サスケの孤独とナルトや我愛羅の孤独は重みが違います。
孤独の重み――極端に例えれば、
世界に自分たった一人のみ存在する場合と、自分以外にも何かが存在してくれる場合。
耐え難いのはどちらでしょうか? ご想像の通り前者です。
サスケは自分から進んで重い孤独を選ぼうとしています。
でもそれは本当の孤独の恐ろしさを知らないから、といえるでしょう。
"つながり"とは広義に理解者そのものです。自分を認めてくれる者。
幼少期のナルトや我愛羅のように何も"つながり"がなかった孤独ほど
目に映る全ての人々に背を向けられてしまう孤独ほど絶望そのものです。
気丈に見えるナルトですら幼少期の心の傷は大きかったと考えられます。

だからこそ、
ナルト自身が幼少の頃味わった苦しみをサスケに味わってほしくない
という思いから、ナルトはサスケを止めなければいけないという衝動に駆られるのだと思います。

もちろんナルトのことだから頭で考えた理屈というよりは、
心が感じ取り、勝手に体が動いてしまうのでしょう。
それがあの台詞へと繋がっていくのだと思います。

「腕がもがれりゃケリ殺す。脚がもがれりゃ噛み殺す。
 首がもがれりゃニラみ殺す。目がもがれりゃ呪い殺す。
 たとえバラバラにされようが、オレは大蛇丸からサスケを奪い返してやるんだってばよ。」

表現方法は申し分なく最悪かもしれませんが(^^;)