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448 『形見』
448話『形見』では、ナルトの核あるいは芯に触れる内容が描かれています。
そのため必然と書く分量が多くなり、記事も前半と後半に分けたいと思います。
後半部分を読まれる前にまずは前半部分へどうぞ。
→NARUTO【呪われた世界で輝くもの(前編)】
さて、後半。
ナルトの奥深さを再認識すると、私の文章も非常に説法くさくなるきらいがありますが、
『Naruto-ナルト-』 の根本にある核の部分は、どうしてもこの様ではないかと思えるのです。
なぜ長門が突如としてナルトを信じることにしたのか。
非常に重要です。
3.形見(3)
自来也と別れ、一緒に暮らしていた住まいに戻った長門、弥彦、小南。
机の上に置かれていた一冊の本に長門は目をとめ、そして手に取ります。
“ド根性忍伝”と題されたその本を読み耽る長門。
そしてそこにはかつて長門が言った言葉が収められていました。
「平和ってのがもしあるならオレがそれを掴み取ってやる!
オレは諦めない!」
その主人公の名前はナルト。
「だからオレの名前はエロ仙人からもらった大切な形見だ!
オレは火影になる! そんでもって雨隠れも平和にしてみせる。
オレを信じてくれ!」
《呪われた世界》は絶望ばかりではない。
希望が、その内部で、その周りを覆う闇に負けることなく無く光り輝いている。
そしてそうやってこの世界を生きるナルトのその存在が、
《呪われた世界》を明るく照らしてくれる存在の一つであるでことに長門は気付いたのでしょう。
「オレは自来也を信じる事ができなかった。イヤ…自分自身をも…。
だが…、お前はオレと違った道を歩く未来を予感させてくれる…。」
かつて長門の中にもあった光。しかし絶望という闇は巨大すぎて、
自分を照らすことすらおぼつかないくすんだ光となってしまった。
と同時に自分を顧みることもなくなっていったのです。
闇と同化して輝いているのか輝いていないのかも定かではなくなってしまったからです。
でもナルトの光に照らされて、自分を再び見つめてみると、
確かに微弱だけれども《呪われた世界》の闇を打ち消そうと輝いていた――。
「お前を……信じてみよう…。うずまきナルト…。」
その事に気付かされた長門は、
ナルトという強く輝く光を信じてみたくなったのです。
4.信じること、そして希望
《信じること》――それは漠然としていて一見的外れに思えるかもしれません。
でも《信じること》は大切です。信じなければ、何も起きません。
信じていなければ何も行動することができないのです。
逆に信じれば何か起きます。信じたとおりにしようと行動するからです。
太陽のような光が遍く照らす闇が晴れた平和な世界。
それは平和へと歩もうと決して光り輝くことを《諦めない》一筋の光が、
《つながり》のもと、よりあわさって強く眩<まばゆ>い光となり、
やがて絶望によって世界を覆う闇すら掻き消すほどのものとなっていく――
まるで微かに光輝く星が空を覆う夜から強く光り輝く太陽が地上を照らし朝となる、
そんな光景とよく似たことのようにも思えます。
確かに《呪われた世界》のその名の通り絶望や混沌が支配する世界でしょうが、
生命はその輝きを絶やさぬように子や孫、友達や恋人という《つながり》にその光を託して、
闇に呑まれてしまわないように現在も過去も未来も輝き続けているのです。
絶望という闇と同化してくすんでしまい、
《呪われた世界》に取り込まれてしまった光もあるでしょう。
けれど夜空にある星のように無数に輝く生命たちは決して諦めることはありません。
《信じること》そして《諦めないこと》は自然の在り方ともマッチングするように思います。
悠久の時をそうしてきたわけですが、
いまだ確固たる“平和”は築かれてはいません。
ナルトが築こうとするこの先も平和と呼べるものはないのかもしれません。
でも平和を信じて何かをしようとすること――
繰り返しになりますが、その諦めない真に平和を信じる姿勢こそが大切なのではないでしょうか。
希望のもとに必死で何かをやり、《つながり》に何かを残して、最後の最後まで輝き続ける。
そのサイクルが続いていくことで、着実に一歩一歩信じたものへの道を進んでいくことが出来ます。
そうやって時は世界を巡り、くすんでしまった光が誤ってつくりだした影という像すら《理解》のもと
歴史として《許されうる》、燦々と輝く太陽が照らし呪いが解かれた白昼のような世界へと、
ナルトが進んでいくことは歴とした《答》なのでしょう。