1.憎しみが憎しみを呼ぶ

「イタチを犠牲にした平和などオレの望むものじゃない。
 真実を知った今イタチの生き様を継ぎ木ノ葉を守る事などオレには到底できない。
 そして上層部の三人は絶対に許せない。イタチの命を代償にして
 ヘラヘラと平和を満喫している木ノ葉の連中も同罪だ。

――と心無いことを口にするサスケ。
憎悪していたイタチが、実は深い愛情に裏付けられた行動をとっていたことが分かり、
昔の優しかった兄が真実であったためも相俟って、
兄イタチを大切に思うようになったあまり、
イタチが守ろうとしたものを壊してまで、イタチが大切な忍であったと、
木ノ葉の里に知らしめしてやりたいという思いがあるのでしょうか?

「イタチの意志を受け入れるなどキレイ事だ。憎しみを知らぬ者共の戯言だ。
 もしオレの生き様を否定するような奴らがいるなら、
 そいつらの大切な人間をかたっぱしから殺してやる。

復讐に取り憑かれたかのように、目に映る自分を邪魔するものを片っ端から殺すといいます。
それは憎しみを知らないから教えてやる、そんな風にも聞こえます。

「一族などと…ちっぽけなモノに執着するから、
 本当に大切なモノを見失う…。
 本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。」

かつてイタチが言っていたように、一族に執着し、
本当に大切なモノを見失ってしまっている――そんな口ぶりです。

2.サスケの復讐

――が、これはサスケの本心なのか、これも疑問です。
相手がトビ(マダラ)であるために、
自分をそのように見せかけている、ともとれなくはないでしょう。

「オレを感情的に動くガキだとバカにするならそれでもいい。」

これは激昂して感情的になっている自分を認めつつ、
信念を曲げるつもりはないというサスケの意志を表していますが、
裏を返せば感情的になっている自分を客観的に把握しているということになります。
それはつまり激昂している素振りを『装っている』、ともとれなくはありません。
それに八尾戦のときに重吾が見捨てようとした香燐を、
天照の炎をどうにか消すほど必死になって救います。
また重吾や水月が自分のために懸命に戦ってくれた姿に、
かつてあった第七班を重ねています。
その皆の想いに応えようと繰り出したのが天照。
サスケの心の中に“仲間”という意識があるのは確かです。
しかし、その仲間に対する想いは、サスケが普段意識しているものではありません。
ある状況で、呼び覚まされる人間として大切なモノ――衝動に似たものです。
この想いを持っている以上、サスケはまだ人でなしに堕ちてはいません。

「アンタの次にそいつを殺す…その為だ。」

一族を皆殺しにした仇敵も殺すこと。
イタチの協力者と見られるもの(=マダラ)も殺すことをサスケは誓っています。
トビ(=マダラ)は敵視していてもおかしくはありません。
ですから、暁と鷹と行動をともに許しているという点は、
この目的を果たす機会を窺っているようにもとれなくもないでしょう。
しかし、サスケはイタチを斃した時点で放心状態になっています。
道半ばというのにイタチというあまりにも大きい山を乗り越えたあまり茫然とし、
もう一人の存在を忘れてしまっているととらえることができるでしょう。
この辺はサスケの精神的未熟さを露呈している部分ともいえます。
そこにイタチの真実なるものが降り注いできたら、
とてもじゃありませんが、“復讐すべきもう一人”の存在などかすんでいってしまいます。
しかし何者かに復讐しなければならないという意識は根付いてしまっている。
それが木ノ葉への復讐になった、いや摩り替えられたというわけです。

「見間違いだと…思った。オレは気づけなかった。
 どうやらアンタの言ったことは本当だったようだ。」

イタチの涙とつながる真実を提供してくれたトビをある程度信用してしまっている。
暁との行動を少なからずも許容していることに反映されています。

「何より…サスケを手懐けた。」

マダラの思い通りというわけです。
したがって冒頭で見たサスケの発言は、サスケの偽りではなく、
むしろ本心に近いといえるでしょう。
しかしその本心は作り変えられた本心。
サスケを唯一繋いでくれている仲間への想い――、
それは時と場合によりサスケを突き動かすほど強大ですが、普段は微弱すぎるため
サスケの復讐に執着しきった心に打ち勝つほどではない、と考えられます。
しかし、作り変えられてしまったとはいえ、心の全てを変えられてしまったわけではありません。
改悪されてしまった部分を払拭するためには、
この仲間への想いが鍵となってくるのではないでしょうか?