.マダラの信憑性

「万が一にもお前に真実が伝わることを、イタチは恐れていたのだ。
 その可能性を微塵も残さぬよう…、
 お前にオレを信用させない為の嘘をつき、
 そればかりかお前の眼に“天照”をも仕込んだ。」

イタチはマダラの口から真実が伝わることを恐れて、“天照”を仕込み
そして、サスケがマダラを信用しないような嘘をついた、とマダラはいいます。
何か不自然さを感じないでしょうか?
この発言はイタチが次のように言ったことを受けてのものです。

「十六年前――九尾が木ノ葉を襲った事件は、
 もちろんマダラが起こしたものだ。」

そもそも、“マダラ”なる人物から真実が伝わることを恐れていたのなら、
“マダラ”という人物がいること、その人物は木ノ葉の里が誕生した当時から
生き続けているということを、わざわざ伝える必要はなかったのです。

「創設者…? そのマダラならとっくに死んでるハズだ。」

このようにサスケはマダラに対して懐疑的でしたので、
マダラを名乗る人物がたとえ現れたとしても、
その人物の言う事など信用しない確率は非常に高いでしょう。
しかしイタチはマダラのことを伝えています。
そこには何らかのメッセージが秘められていると考えられます。
もちろん漫画的にこのようなストーリー展開が見られた、と受け取ることもできます。
ですが、このイタチとマダラの食い違いは次のようにみることもできます。

「…人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている。
 それを現実という名で呼んでな。
 しかし知識や認識とは曖昧なモノだ。
 その現実は幻かもしれない。人は皆思い込みの中で生きている。
 そうは考えられないか?」

これはマダラという人物が今もなお存在していることを強調する目的の発言です。
この兄弟対決が終わり、弟を見守ることができなくなった後、
マダラが接触してくることを予測していたからこそ、天照を仕込んだわけですが、
「マダラがいるんだぞ!」というこのメッセージはすなわち、
「マダラに注意しろ!」という警告の意味合いにとるのが一番自然ではないかと思われます。
イタチとしては、サスケに自分の真実を知られることよりも、
マダラに接触し感化することを心配していたのではないでしょうか?
この点でイタチが真実を知られることを最大に畏れていたとするマダラと
食い違いを見せることになります。


それに仮にマダラを信用させないための嘘であったにしても、
九尾事件の首謀者であったという嘘をつくことに不自然さを感じます。
マダラの存在を信用していないサスケにマダラという人物がどういう人物か
信憑性を与えるために事実に則して一個一個具体的な事柄を述べている場面。
九尾を手懐けたこと、万華鏡に纏わること、弟の眼で万華鏡を開眼したこと、
柱間に敗れた後も存在していること、暁を組織したこと、
そして十六年前の九尾襲来です。
イタチはマダラと師や相棒と呼べるほど長い付き合いといえるので、
根も葉もないデタラメや誣い言をいうことは考えられません。
マダラはこのうちのいくつかをサスケの前で認めていますが、
唯一、九尾襲来の件のみを完全に否定しています。
サスケの前でこのことを認めることは、
マダラの思惑に反するものだったのかもしれません。
純粋に天災だったのなら、自来也がこの出来事に関して、
マダラの関与を疑うこともなかったでしょうし――