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所用で更新が遅くなって申し訳ありません。m(_ _)m
今回は内容が多いので二部構成です。
前半はイザナミについての考察。
後半は今話の核心を追っていきたいと思います。
後半は【共闘の第十局・捌〜ループの中で〜】 へ
1.イザナミ(1)
「このまま少し輪廻<ループ>に掛けて、
本来の視覚による幻術に掛けやすくする。」
とイタチ。
カブトは項垂れ、立つ事以外を忘れたように、
ただ立ち尽くすような感じです。
どうやらカブトの意識は此方にはないようです。
「なら…カブトはその輪廻<ループ>ってのにハマったってことか?
それが、イザナミ…。いつ仕掛けた?」
とサスケ。初めて見る術のようです。
「カブトが最初にオレをその刀で突き刺した時だ。」
《イザナミ》が始動したのは,カブトがイタチを刀で刺突したその時。
幾羽もの烏が弾けるように舞い上がり辺りを覆い尽くしたあの時です。
「しかしどうやって?
視覚じゃない瞳術とはどういうことだ?」
視覚に頼らない瞳術――とはどういうことなのでしょう?
「イザナミは自分と相手…、二人の体の感覚によってハメる瞳術だ。」
イタチはその術の全容を明かし始めます。
「行動の中の任意の一瞬…、その一瞬の己と相手の体の感覚を
一度瞳力で写真のように記憶する。仮にそれをAとする。
そして同じ体の感覚をわざともう一度再現し、
その一瞬を同じように瞳力で写真のように記憶しA’を作る。
イザナミはそのAとA’を重ね繋げることにより、
それまでの二つの間の時の流れまで繋げてしまう。
つまり無限ループを作る能力だ。」
《イザナミ》とは任意に切り出したピリオドをつなげてループをつくりだす術――
つまり対象の時間軸を捻じ曲げることで、ループ事象に閉じ込めてしまう術のようです。
あくまで短い期間、ここではピリオドと表現していますが、を任意に切り出してくるのであって、
それらどうしを繋げたときの過程、つまり繰り返されるループ事象は、
毎回同じことが起こるとは限らず、あくまで切り取った小期間<ピリオド>が同じだけで
そこには自由性が内在しています。
これは例えるとある始発駅Aと終着駅A’を往復している電車とその間にある駅の関係のように、
通過する駅は変わりませんが、乗車してくる人々が毎回異なるのと似ています。
つまり決まっているのは常に始点と終点(と間の通過点)であり、
そこに至る経路は様々に取り得ることができます。
これはちょうど始点と終点だけで仕事(エネルギー)が決まる
保存力によるポテンシャルの関係に酷似しています。
以下、少し小難しいことを書きます…
上図では点Aから点Bに至るまで、赤、青、緑いずれの経路を通っても
要する仕事量は同じです。すなわちエネルギーは位置によって定まるので、
点A(位置ベクトル),点B(位置ベクトル)におけるポテンシャル(位置エネルギー)を
,のように表せば、経路をについて、
と数式では表現できます。
このときその始点Aと終点Bをくっつけてしまえば、ある閉曲線をぐるぐる回るループとなります。
その閉曲線をで表現すれば、
のようにエネルギーの変化はトータルで0となります。
これが《イザナミ》の場合位置ベクトルではなくて
カブトの時間ベクトルとして捉えたものと等しくなります。
さらに、ある事象の顛末は、
"その時刻毎に起きる影響f(t)と《イザナミ》の対象が演じる事象因子g(t)の畳み込み"
で表すことができます。すなわち、
です。畳み込みとは関数fをスライドしながらその影響を関数gに掛けて足し合わせていくことです。
この畳み込みは学習や経験と等価です。
つまり完全なループ状態では、《イザナミ》にかけられた対象は、
この畳み込みによる和 がループ周期で常に0となるように働くともいえます。
ところでこれらは《イザナギ》のように実世界の時間軸が歪むのではなく、
カブトの精神世界の時間軸が歪むことによるものであるといえます。
任意に切り取られた時点Aと別の時点A’の間のループについて、
カブトの時間軸と実時間軸の対比では次のようになっていると考えられます。
つまりカブトの時間でループ1回に5分経過したとして、
ループ3回では実世界で15分経過していますが、
時間が巻き戻ったようにカブトは感じるため、
実世界で経験、学習するはずの15分はもちろん感じることはできず、
見かけの(とあえて述べますが)経験や学習は0となるとして考えられます。
2.イザナミ(2)
さて次のイザナミの特性が明かされるまで、話を進めていきます。
「もちろん失明することと引き換えにする。イザナギと同じにな。」
イザナミもまた失明を要するほどの禁術クラスの瞳術。
月読のように視覚に訴えることがなく、
相手の時間軸を捻じ曲げてしまうのだから強力な術です。
「カブトの意識はその幻のイタチとオレを相手に、
ずっと無限に続くループの中で閉じ込められるって訳か…」
とイザナミの恐ろしさを肌で感じるように呟くサスケ。
しかし、イタチはサスケの言葉に首を振ります。
「イヤ…。この術にはそのループから抜け出る道が、
ちゃんと用意されている。
そもそもイザナミはイザナギの術者を戒め、
救うために作られた術だからな。」
とイタチ。《イザナギ》の術者を懲らしめ、導くためにつくられた術が《イザナミ》。
どうやらそのループには特異点が用意されているようです。
さっきの保存力のポテンシャルの例では、どのような経路を通っても仕事量は一緒ということでした。
しかしある地点を経由するように経路を選んだとしたときだけ、仕事量が変わってしまったとします。
この経由点を特異点と呼ぶのですが、
例えば高い地点Bから低い地点Aまで流しそうめんをしたとします。
このとき地点Bから地点Aまで、何の障害もなければ、
何回行っても同じだけのエネルギーで地点Aまでそうめんの全体は辿り着くことができます。
しかし経路の途中、大食漢がそうめんをせき止めて、
そのうちのいくらかを食べてしまったとします。
この大食漢がいる位置でそうめん全体の質量が変化するので、
地点Aに辿り着くためのそうめんの全体から考えたエネルギーは、
大食漢が居ない場合に比べて変化します。
この大食漢がいる地点が一つの特異点のイメージになります。
《イザナミ》にもこの特異点が存在し、その特異点を通る経路を進むと、
どうやらループから抜け出ることができるらしいのです。
「イザナギはお前も少し知っているようだが…、
アレは運命を変えるうちはの完璧な瞳術だと言われていたそうだ。
己の結果にうまくいかない事があれば、
その結果を掻き消し、元に戻れる。
言わば都合のいい結果だけを選び取っていける仕組みだ。
大きな戦いにおいてうちは一族が決して失敗できぬ時、
イザナギが大きく貢献する術となった。
が、しかし…結果を己の思うがままに変えられる術には、
失敗以上の大きなリスクがあった。
その強すぎる瞳力は術者を傲らせ、
個を暴走させる要因となってしまったらしい。
イザナギを使う者が一人なら問題ない。
だが、それが二人以上になると、
うちは一族内で都合のいい結果の奪い合いが始まった。
それを止める為に作られたのがイザナミだ。
視覚相手に視覚では幻術にハメられないからな。」
《イザナギ》は非常に強力すぎる術です。
おそらく時空間系の極致にある術でしょうが、
現実世界に干渉し、任意の事象を掻き消すことができるというもの。
《イザナミ》は術の格としては《イザナギ》に劣りますが、
充分に強力なものでしょう。
視覚に訴えることなく幻術に陥れることができるのです。
多由也が見せた魔笛の音による幻術も資格に頼らない点で近いとも言えますが、
それよりはずっと強力であることが容易に想像できます。
《イザナギ》が現実世界の時間軸に干渉するのに対し、
《イザナミ》が精神世界の時間軸に干渉する関係性は、
《天照》(現実世界への干渉)と《月読》(精神世界への干渉)のようでもあります。
「イザナミはイザナギで己の結果を都合のいいように変えようとすると、
一生同じ所をグルグルとループする仕組みだ。
だがイザナミはイザナギを止める為の術…。
ちゃんとそのループから抜け出る道も作られていた。
これは本来、うちはの仲間を驕りと怠慢から救うための術だった。
術で簡単に結果から逃げる者を止める為の術。
本来の己の結果を受け入れ、逃げなくなった時、
おのずとイザナミのループは解ける。
術に頼ることなく…、運命を自分で受け入れるよう導く術。
抜け道のある術など実践では危なくて使えない。
そういう意味でイザナミは禁術になっている。
だからカブトが自分以外の誰かに成り替わることをやめれば…、
ループから出ることは出来る。」
どんな不当な結果が起ころうとイザナギさえあればどうにかなる――
そういったある種の慢心や怠慢、無責任さを戒めるための術でもあるのでしょう。
《イザナギ》自体はダンゾウが披露して見せたように、
万華鏡写輪眼の術ではないので、
この術を扱える人数は万華鏡開眼者よりもさらに多く居たと考えられます。
おそらく実際に使うまではなくても、その存在自体が戒律となって
イザナギ術者のモラルを保つ側面もあったと思われます。
しかし、あえて実践で使われることの少ない《イザナミ》を、
カブトに使ってみせたイタチにはもちろん理由があるようで、
それはサスケも気になるところのようです。
続きは後半へ。