582『何も無い』

1.何も無い(1)

「(運命を決める術!?
  イザナギと同じような術が他にも…!)」

イザナミ》はサスケもはじめて知る術のようです。

「何をしようとしているのか知らないけど、
 今のボクには何も通じないよ。
 ボクが何者なのか…、
 君たちは分かっていないようだね!」

イタチとの攻防の後、
いったん間合いを取ったカブト。
余裕の笑みを浮かべながら、《仙法・無機転生》を繰り出します。
まるで生き物のようにうねりだす鍾乳洞。
やがて尖った岩々は独りでに動きだし、イタチを四方より貫きます。

「生態機能を持たないモノ自体に生命を与え、
 コントロールする術さ…。
 チャクラで操る術とは訳が違うよ…。
 行き過ぎてるだろ?」

《仙法・無機転生》とは非生命体を疑似生命体に変えてしまう術。
つまり、術者のチャクラによってこれらを自在に操るのでなく、
それ自体が意志をもち対象を攻撃するのです。
しかもその様相からはこれらの疑似生命体たちが術者の意図を汲んでいるように窺えます。

「須佐能乎でサスケくんを守った分、遅れたね…。
 なに…サスケくんは傷付けはしないよ。
 ボクの大切な実験体だから。
 さて、これでまた頭の中を上書きする。
 …どうなるかは分かるだろ。」

サスケを狙ったかのような攻撃はフェイク。
結局、イタチは串刺しにされてしまいましたが、
それは自分が穢土転生された不死の身体であることを活かしての行動です。
カブトはそれを読んでいたのです。
敢えて身代わりになった代償は大きい――
カブトは狡猾にも動けなくなったイタチの呪符を書き換え、
再び術者の意図通りにすべくクナイを手に取ります。
そうはさせまいとサスケ。
天照によりイタチの周囲を黒い炎熱の壁で覆います。

「最大の攻撃瞳術は最大の防御にもなるってことだね…。
 熱くて鍾乳洞も元に戻っちゃったか。」

絶命すると再び元の非生命体に戻るのでしょう。
鍾乳洞の岩々も元の状態に戻ります。
しかし、カブトは余裕の表情を崩しません。

「悪いが、ボクの勝ちだ。
 全てを成し、制することに近づきつつあるボクにとって、
 どうしても失敗する姿が思い浮かばないんだよ。
 かつて大蛇丸様が集め研究しつくしてきた自然界の法則や原理が、
 今やボクの中に全て蓄積されている。
 人から蛇へ、蛇から龍へ…。
 そしてこの世で一番六道仙人に近しいのはこのボク…。
 それに比べれば、うちはの名など…。」

驕り高ぶる表情を浮かべ、カブトは宣言します。
六道仙人に一番近づいていると――
それを見て、イタチは静かに言います。

「カブト…お前を見ていると、
 まるでかつてのオレを見ているようだ…。
 だからこそお前は負ける。」

と。イタチもこの世の全てがどうにかできると、
思っていたということなのか――
それは後述しますが少し違うようです。

「……いいかい…ボクはもう脇にはいない。
 今はこの戦争の中心と言ってもいい!
 暁を手玉に取り戦争を有利に操り、
 うちはの兄弟をも追い込んでいる…。」

簡単に否定され、納得がいかないのか、
自らの素晴らしさを自ら語るカブト。
戦争の中心にあり、暁も五大国もそしてうちはさえも意のまま。
全ては掌の上だと言うのです。

「……オレにとってお前は対立と共感、
 二つの感情を抱かせる。お前もオレと同じ。
 スパイとして偽りの世界を歩いてきた者だからな。」

スパイという過酷な偽りの世界を歩んできた者として、
カブトに対してある種の共感を覚えるというイタチ。

「オレも己が何者か分かってなかった。
 自分を知るということは全てを成し完璧になることではない、
 と今やっとわかる。
 …それは己に何ができ何ができないかを知ることだ。」

本当に大切なものを守り抜いたと思って、
偽りの自分を貫き通し死んだイタチ。
木ノ葉の平和のため、弟サスケのため、
どんなに汚名を着せられようと、完璧に信念を貫き通し、
忍の生き様と忍の死に様を体現してみせたと自負していた――
ところもあったのでしょう。
でも、それは違っていた。
思い描いていたようには行かず、
サスケは憎しみに囚われ木ノ葉に反目してしまいました――

「負け犬らしい方便だね。
 できないことを認めろ…、
 あきらめろってことかい?」

とカブト。イタチは首を振ります。

「違う。己ができない事を許す事ができるようになることだ。
 全てができないからこそ、それを補ってくれる仲間がいる。
 己が本来できたであろうことをないがしろにしないためにもな。
 自分が何者か知りたければ、本当の自分を見つめ直し認めることだ。
 オレはそれに失敗した…。
 皆に嘘をつき己自身にも嘘をついて己をごまかしてきた。
 己自身を認めてやることができない奴は失敗する。
 かつてのオレのようにな。」

かつてイタチは幼き弟に言いました。
優秀というのは考えもの――と。
力を持てば孤立し、傲慢にもなる――最初は望まれたとしても。
そして、シスイの南賀ノ川入水事件後で警務部隊の3人を相手に言います。
"うちは一族"にこだわるお前たちは器が浅い。
自分の器はとうにうちはの名では満たされない深さがある――と。
高みに近づくため――イタチは自身の正義を貫きました。
それが良かったのか、悪かったのか。
"本当に大切なモノ"を見失わずに戦ってきたはずなのに、
よくよく考えれば見失っていたことに気づくのです。
サスケを見失っていたのです。
嘘で塗り固めて、その過酷な世界を生き抜いても、
結局は自分の思い描く未来には及ばないという不条理。
自分の器の深さを信じて、孤高を駆け抜けてきたイタチに足りなかったものこそ、
できなかったこと、負の側面を認めなかった己の驕りにあったのです。
例えばサスケ。
一族事件で父母を手にかけることがあっても、
弟は最後の最後まで手にかけることができずに残されたサスケ。
木ノ葉の平和のためであっても、
一族事件によるうちは抹殺は、
残されたサスケの全てを奪うに等しいことです。
父母の愛情、優しかった兄、帰るべき家、
あったかもしれない温かい未来――
イタチはサスケからそれらを奪っているのです。
でもイタチはそんな己をある種認めていなかったところもあったと思われます。
それらを"平和"という"正義"の名のもとに片づけていたのではないでしょうか。

2.何も無い(2)

「君らこそボクの何を知ってる?
 ボクはボクのやり方でずっと自分が何者なのかを探してきた…。
 ずっと――」

カブトはイタチの言葉に反駁します。

カブトの回想――
惨たらしい戦争の傷跡。折れた樹の木陰でうずくまる幼いカブト。
頭を強く打っていたのでしょう。血を流しています。
そこへ行きかった孤児を連れた修道女風の女性。
優しい面立ちと眼鏡が特徴的です。
彼女の医療忍術で助けられ、
孤児院へと連れて行かれるのです。

「(それが最初の記憶…。
  最初からボクは何者でもなかった。
  ボクには何も無かった。
  親を知らず…自分の名すら知らない。)」

先生に何かを聞かれても何もカブトは答えられません。
その日までの記憶がないカブト。
父や母の記憶はもちろん、自分の名前すらも――
傷の具合は適切な処置によって快方に向かいます。

「ホイ! また何かあるといけねーから、これでも被ってな!」

やや乱暴で腕白なウルシと呼ばれる少年が、
兜を無理やり頭に被せます。
頭を怪我したカブトを思っての行動でしょう。

「礼儀どころか、親も知らねーし…
 自分の名前まで知らねー奴は初めてだよ。」

とウルシは言います。

「アナタは今日からここで暮らすのよ。
 つまり今日から私がアナタのお母さんです…。
 何かあったら遠慮はいりませんよ…。」

そう言って優しい笑顔をカブトに向けるのは、
先ほど介抱してくれた先生。

「でもこいつ名前もねーってのは不便だよな…。」

とウルシの言葉を受けて、

「そうね…何がいいかしら…
 カブト…ってのはどうかしら?」

見たまま、何も考えないくらいが良い、
そんな先生の勢いで名前をもらったカブト。
他の孤児たちからも迎え入れられた様子で、
カブトもようやく笑顔をこぼします。

夜眠れないカブトはふとんから這い出し、
皆が雑魚寝する寝室から出ます。
するとひそひそと何やら話し合う大人たち。
国や里からの補助金でこの孤児院は運営されているようですが、
どうやら運営はぎりぎりの様です。

「こんな時間に何をしているんだい?
 もう寝る時間だよ!」

物音を立ててしまい、先生たちに見つかってしまったカブト。

「この子はまだ来たばかりですし、院での時間割やルールを知りません。
 大目に見てあげてください。」

と名前をつけてくれた先生がカブトを庇います。

「まったく…マザーは甘いんだから…。」

と小太りの先生が一言。
どうやらこの孤児院では女性の"先生"のことを"マザー"と呼ぶようです。

「ホラ。こっち来て時計を見てみな!
 今は消灯時間を20分も過ぎている!
 つまり消灯時間は何時?
 今ここでキッチリ覚えましょうね!」

少し小太りで厳格そうなマザーは、
カブトをつかまえて、時計を見させます。
カブトは言葉に詰まります。

「ホラ何時だい?
 ちゃんと自分で言って覚えるんだよ!」

目を薄めて、焦点を合わせようとするカブトを見て、
カブトを助けてくれたマザーが何か気づきます。

「この子はまだ小さい…。
 計算どころか時計が読めなくてあたり前だよ…。
 今日のところはもう…」

初老の男性の先生、"ファザー"と呼ぶべきでしょうか、
がカブトの幼さを見てそう言いかけたところ、

「9時…」

ハッキリとした答が聞こえたのに少し驚きます。
カブトを助けてくれたマザーが自分の眼鏡を貸してあげたのです。

「正解です」

とにっこりと笑うマザー。

「ハハ…目が悪かっただけのようだね!
 この歳でかしこい…!
 さっそく眼鏡がいるね!」

とのファザーの言葉に、

「ハァ…どこにそんなお金があるんだい!?
 …ったく…よく見えないなら見えないと
 早く言えばいいのにね。」

と小太りのマザーは相変わらず手厳しいコメントです。
孤児の眼鏡一つ満足に買うことができないくらい、
孤児院の財力に余力はないのでしょう。
眼鏡を借りたカブトはマザーにそれを返そうとしますが、
それをとどめ、

「これからは時間を守れるわよね。
 ただレンズの度が合ってるといいんだけど。」

掛け直してあげるマザー。
カブトを涙を流し、

「…あり…が…とう…
 ありがとう…
 ありがとう…」

と震える声で一生懸命に言います。

「もう充分よ…」

そう言って優しく微笑むマザー。
慈愛に満ちた記憶で始まったはずのカブトの新しい記憶。

「名は記号…。眼鏡は道具…。
 最初からボクは何者でもなかった。
 ボクには何も無い。」

ですがカブトの心に"愛"は宿っていません。
剥奪されたかのように――