1.うちは一族“の”創設者

「うちは一族の創始者…うちはマダラだ。」

九尾事件に一枚咬んでいるのではないかと、自来也が口にしたうちはマダラの名。
ここで<うちは一族の創始者>という言葉が出てきます。
この台詞は、あたかもうちは一族をマダラがつくりあげたかのように聞こえ、
記事【うちはマダラ3】では、そのように扱うことで
マダラがどのような世代にあるか大まかに推測しました。
ところが、次の蛙の一言でこのことが全く違うことを示すことに気づくべきでした。

「アホ! うちはマダラの木ノ葉創設期の人間じゃ!」

木ノ葉創設期の人間>であり、創設者という言葉は
<うちは一族を築いた創設者>という意味ではなく
<木ノ葉を築いた創設者>という意味だったわけです。
ではこの場合、<うちは一族の>とは何を表すのでしょうか。
後に初代火影となる千手柱間という人物が明らかにされますが、
木ノ葉はその<千手一族>と<うちは一族>が手を結ぶことで生まれた組織です。
つまりこの場合、<千手一族>という対比を暗示しながら、
もう一方の<うちは一族>「」創設者がいたということを発言しているのです。
この「」の捉え方で、
そのキャラクターにおける全く別の背景が生み出されることに着目しましょう。
この着想にヒントを得て、何か手がかりが眠っていないか次の台詞を考えます。

2.かつて“の”うちはマダラと同じ

「その瞳力とワシ以上に禍々しいチャクラ。
 かつてのうちはマダラと同じだな…」

ナルトの精神世界にその写輪眼の力で干渉し、
ナルトの中に眠る九尾と接触した場面。
サスケのもつ瞳力と禍々しいチャクラが、
うちはマダラと似通っていることを九尾が表現したものですが、
<かつてのうちはマダラ>というフレーズについて考えてみましょう。
このフレーズは普通に考えれば、
<かつていたうちはマダラ>のようだという意味合いですが、
先ほどのように「の」に“対比構造”を導入して考えてみると、
“かつて”でないもう一方のマダラ、
“現在の”マダラという存在がこの語句で対比されていると言えます。
九尾が知っている<かつて>と<現在>とを比較した場合、
<かつてのマダラ>の方が<現在のマダラ>よりも瞳力と禍々しさという観点でサスケに似つかわしい
と九尾が判断したゆえに成り立つ台詞だと考えることができます。
九尾の知る<かつて>と<現在>が正確にどの時点と判断することは現時点では難しいですが、
ナルトに封印されてからは、マダラを知る機会はないと考えられますので、
九尾の知る<現在のマダラ>とは、九尾が外界に存在した最後の時点、
すなわち九尾事件までに九尾がマダラに持った最新の印象です。
一方で<かつてのマダラ>とはその最新の印象以前の、
昔の、ともするとずーっと昔にもったかもしれない印象です。
ではこのことから何が分かるかといえば、九尾はマダラについて

  • <かつて>と<現在>の印象を感じさせる何らかの出来事を経験している

ということです。もうお気づきかもしれませんが、
その<現在>の印象とは<九尾事件に関与したマダラ>である可能性があるということです。
(<かつて>の方は広範ですが、
 399話『すべての始まり!!』における柱間との戦いの描写から、
 千手一族と争い頃や木ノ葉創設期のものと考えられます。)

「九尾を手懐けコントロールすることが出来るのは、うちはの瞳力だけだ…。
 木ノ葉の上役たちはあの事件をうちはの何者かによる仕業ではないかと勘ぐった。
 あれは自然発生的ないわば天災だ。うちはは関係していない。」

九尾事件は自分の関与した者ではなく、自然発生の災厄と言いきるマダラ。
はたして本当でしょうか?
九尾事件の最大の当事者である九尾の口からは、
ほのかにマダラが関わっていることを感じさせないでもありません。