「おい!! そこのトゲトゲアロエヤロー!!
 今サスケはどこにいる!?」

というわけで、アロエなゼツですが、
Wikipediaの参照写真では、確かにゼツが群生しています。(笑)
アロエの群生(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Aloe.jpg

1.ゼツの立場、トビの立場

さて、ゼツとトビに関して場面を対比してみましょう。

(1)
「ありました! ありましたよゼツさん!
 これで“暁”のメンバーに入れますかね…一人分の枠空いたんだし…」
「バカヤロー…ソンナ簡単ニイクカ…。
 いいじゃないか…入れてあげれば…トビはいい子だ…。」

このとき、トビはゼツにかけあって暁に入ったわけです。
まわりに誰が聞いているわけでもなく、二人だけでしたので、
ゼツがトビの正体を知っていれば、
ゼツがトビの暁入りを許すかのようなこの会話は明らかに不自然です。

(2)
「トビも死んだみたいだよ。
 デイダラの奴見境なく爆発しやがった。」
「まあいい…あの程度の男ならいくらでも補充は利く。デイダラは惜しかったが…」

デイダラがサスケと戦い敗れた後の会話。
トビは暁での地位が低いように扱われています。

(3)
「お前が狩れ。リーダーとして失敗は許さん。」

(4)
「とんだ邪魔が入った。
 マダラから九尾を狩るように命を受けていたんだがな。」

一方で“うちはマダラ”として、
あるいはその力を持つものとして、
トビは暁のリーダーよりも高い、または対等な地位に振舞います。

(5)
「サスケの勝ちだよ! うちはイタチは死亡。」
「うわー! しんじられなーい!
 なんてね…思った通りだ…」

トビより上の地位にあると思われたゼツも、
“マダラ”を知っており、この台詞から、
ゼツの方が地位が上とは言い切れなくなります。
もしもゼツが上でなければ、(1)の会話の意味合いが分からなくなります。

2.トビの謎へ

「まあいい…あの程度の男ならいくらでも補充は利く。デイダラは惜しかったが…」

そこで手がかりとなるのが、
リーダー、ペインが言ったこの言葉です。
ペインは象転の術という特殊な術を使って、
暁のメンバーでない忍を、暁のメンバーに姿・形・能力を似せる術を使いました。
つまりトビというのも、この“象転の術”により“マダラ”を複製したものでは――
と考えることができるでしょう。

「いい感じだ…写輪眼の力を十二分に発揮していた…。
 アレはイタチ以上の目になる…」

デイダラ戦においてトビが死んだとゼツが語ったのも、
この象転の術の媒体が死んだこと。
そして象転の術中でも、マダラ(本体)もトビ(媒体)として、
サスケとデイダラの戦いを見ることができたと考えることができます。
しかし、(5)の台詞、
トビはだんだんと“マダラ”へと台詞が変わっていきます。
つまりトビとマダラは表裏一体であるようです。
あるいは“マダラ”を本性とした“トビの演技”なのでしょうか。
したがってこの考え方、つまりトビとマダラが別物と見なすことはできなくなります。

「貴様らの相手はまた今度だ。」

トビの二重性、そしてそうでなければならない意味とはなんでしょうか。
以前は【トビについて2】*1において、
この二重性に関して取り上げましたが、
このように考えても(1),(2),(3),(4),(5)の会話は不自然です。
あるときは目線が下で、あるときは目線が上。マダラでありトビ。
いったい…どういった理由があるのでしょうか?