「…痛みで世界を導くより、痛みを乗り越えたお前の力で、
 それを成し遂げて欲しかった。」

自来也は痛みで成長することを否定してはいません。
しかし、世界に痛みを直接もたらすことは否定しています。
痛みで成長する――、自来也の望んだ正しい成長とはなんでしょうか。
今回はサクラを主軸に考えてみましょう。

1.サクラの痛みと成長(1)

アンタは人の命を…何だと思ってんだ!! 肉親を何だと思ってんだ!!

ナルトの世界では忍の死は当たり前。
それでもサクラが湧き上がる何かをこらえきれず言い放った言葉です。

「今まで何千何百と殺してきたが…その内の一人と同じだ。もっと物事は単純だ。」

命を命と思わない、あまりにも命を軽んじたサソリの発言に、
サクラがこのように感じるのは、サクラが傷つき、痛みを知って、
それでもなおその痛みに負けずに、
命を実感しながら成長してきたためであるといえるでしょう。
命を、生を実感していればこそ、他の命を無下に扱ったりはしないものです。
そして何よりも、自分の経験したことのない痛みを、
想像することで共有し、思いやることが出来るようになります。
サクラの場合、それが涙となって顕著にあらわれています。

2.サクラの痛みと成長(2)

サクラは幼少期、付き合い下手で、いじめに近いものを受け、
味方になってくれるいのがいたとはいえ、辛い過去がありました。
しかしそれでもサクラには親がいましたし、
親がいないことや孤独を実感できませんでした。

「お前…うざいよ。」

慕っていたサスケの辛辣な言葉で、
親がいないこと、孤独の辛さを意識しはじめ、
自分の無神経さに少し気づきます。
当然、このときサクラは意中の人であるサスケに、
心無い言葉を言われ深く傷ついたに違いありません。
ですが、サスケを悪者にすることがなかった、
多少自分を省みたかもしれないのはサクラの偉いところです。

「ナルトは私のことなんて何一つ分かってない……
 うざいだけよ。」

一方で自分を慕ってくれていたナルトを頑なに認めていなかったサクラ。
それでもいつでもナルトはサクラを陰から支えてくれていた…
そんなナルトをいつも傷つけていた自分自身に気づき、
ようやくナルトを認めはじめた、そんな場面もありました。

「…ナルト…、…ありがとう…」

サスケへの恋心は変わらない。
ですが恋以外に人を思いやることの大切さに気づいたのです。
愛と言い換えてもいいでしょう。
このような態度の変化はリーに関しても見られます。
自分が大切にする人だけでなく、
大切に思ってくれる人も大切にしたい。
内なるサクラなど悪達者に振舞うところもあり、横暴もありますが、
根本的なところでは思いやり深く、
人を大切に思える人間へ大きく成長したところです。

「私は…! ナルト…アンタの…」

人柱力の宿命をチヨバアから聞いた泣き出す場面。

「ナルト! もう…もういいから!
 サスケ君は私が助け出してみせる!
 だから! だからナルトはもう!」

そして、サスケを助け出すことに焦り、
大蛇丸相手に自分を見失って九尾の力を解放したナルトを見て泣き出す場面。
サクラはサスケだけでなくナルトを思ってもまた泣いています。

3.人として、忍としての成長

大切な人や、何かを思って涙を流す。
それはその人やものをそれだけ大切に思っている証。
人としてだけでなく、忍としても大切なことです。

「忍者の世界でルールや掟を破るやつはクズ呼ばわりされる。
 ……けどな! 仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ。」

カカシに言われたこの言葉の本当の意味。
言われた当初は、おそらくサクラも理解していなかったはずです。
しかし、だんだんと成長してくるにつれ、身にしみて分かってきたかもしれません。
思いやりや配慮、人間性というのはこのように
人を大切にすることを知れば、自ずと身につくことのはずです。
それは自分の他にも一緒に生きている命があることを、命の重みを教えてくれます。
逆に人を大切にする気持ちを欠いてしまえば、
利己主義に走り、仲間や他人を軽んじ、
結果命を軽んじることになりかねません。
サクラがサソリに向かって言い放った言葉が脈絡がなくとも力強いのは、
サクラも成長して人間としてあるべき何かを掴んでいるからだと言えます。

人を大切にすること――それは傷つくこと、“痛み”が教えてくれます。
しかしその痛みによって学ぶべきものを学ばず、
あるいは傷つきすぎて“痛み”そのものにとらわれてしまい、
本当に大切なモノを思う心すらなくしてしまった――
命なんていくらでもとか、自分を神だと言い張る可哀想な人もいます。
彼に温かい心を甦らせることがあるとすれば、
それはやはり思いのこもった“涙”なのかもしれません。