393 『オレの眼』

1.オレの眼

瓢箪様の徳利に吸い込まれていく大蛇丸の力…
しかし十拳剣をかいくぐるように、大蛇丸の目元と似た蛇が数匹逃れていきます。
やつれた姿のイタチ。須佐ノ乎はゼツもあまりよく知らない術のようですが、
その術の効力に伴ってリスクも高いと察しているようです。

「これでお前の眼はオレのものだ。ゆっくりと頂くとしよう。」

サスケの力を剥がしとったイタチ。
スサノオ…天狗を模した兜の様なものから覗かせる二つの眼はギラリと光ります。
悠々としていたのも束の間、突如胸に激痛が走り、
イタチは大量に吐血してしまいます。
スサノオもその雄雄しい姿が、骸<むくろ>へと姿を変え…
まるで明滅するかの様です。
好機ととらえたか、すかさずサスケは起爆札つきのクナイを投げます。
しかし、それはスサノオに当然の如く防がれてしまいます。
物凄い形相で睨むイタチ。サスケも思わず足が竦みます。
サスケは負け将棋で最後に持ち駒を使って無駄に王手をかけるように、
起爆札つきのクナイをなかば自棄になって投げますが、
当然イタチは物ともせずに、サスケへどんどん迫っていきます。

「あのスサノオとか言う術…あの盾で全ての攻撃をはじき返してる…!」
「間違イナイ…アレモ霊器ノ一ツ。
 全テヲハネ返ス八咫鏡ト呼バレルモノダ…。ソレニ攻撃ニハアノ十拳剣ガアル。
 コレジャ完全ニ無敵ダ…」

八咫鏡とは日本神話において、天照大神が岩戸に閉じこもってしまった際に、
その鏡に映えた自分を見て、興味惹かれるように岩戸から外へ出たという逸話をもつ鏡。
術・須佐ノ乎においてスサノオが人型に分化する前の段階では融合状態にあって、
初期にイタチを覆っていたものは十拳剣、八咫鏡の効果も持ち合わせていたのでしょうか。
八咫鏡はおそらくサスケの麒麟を防いだチャクラの塊と考えられます。

「オレの眼だ…オレの…」

鷲掴みするかの様な手で、迫り来るイタチ。
草薙の剣を抜いて立ち向かうも、弾き返されてしまいます。
振り返れば、壁。逃げ場を失ったサスケは、戸惑いの表情を隠しきれません。
声にならない声…イタチは何かを言い、そして微笑みます。
サスケの眼へ、終にイタチの指が届きかけたそのとき、
イタチはよろめき、その指はサスケの額へ。額をトンと小突きます。
崩れていくイタチ。スサノオも消えていきます。
一部始終を窺っていたかのような蛇。
サスケは呆然と――何が起きたかすぐには理解できていない様子です。

2.指の標的

よろめき下へ崩れるように、体が動いたなら、
当然手も下方へと、したがって眼の下へといくはずです。
ところが、それに逆らって額へとのびた指先は、
イタチの意志が働いて上方へと手が動いたのです。
イタチの目的は眼だったのでしょうか?

「許せサスケ…また今度だ」

思えば、この台詞とともに額を小突かれていたサスケ。
慕ってやまなかった兄。尊敬の的だった兄。でも遠すぎた存在。
一族事件の疑惑、そして父母の死と兄の裏切り。
サスケとイタチに関する全ての描写が、まるで人差し指で額を小突くこの描写に
収束していくかのような奥深さを感ぜずにはいられません。

「一族などと…ちっぽけなモノに執着するから、本当に大切なモノを見失う…。
 本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。」

イタチにとって本当に大切なモノとは何だったのでしょうか?
【真相へ2・忘れられた大切なモノ(i)】*1において、
サスケはイタチの本当に大切なモノを託される形で結末を迎えるとしました。
この額を小突くイタチの描写は、おそらく弟へ何かの想いを託した描写ではないでしょうか?
傍から見れば、弟の眼を万華鏡写輪眼を奪おうと、
醜くも最期の最期まで眼にしがみつくように手をのばしたように見える描写。
ですが、サスケを小突いて、静かに事切れる描写は、
何か心の重荷を取り払ったかのような、
執念めいたものを全く感じさせない描写です。
これは弟の写輪眼へと手を伸ばしていく描写とは対称的な描写ですが、
その最期の姿…イタチの本心はどちらにあったかは、言うまでもないかもしれません。

「お前はオレを疎ましく思い憎んでいた。このオレを超えることを望み続けていた。
 だからこそ生かしてやる。…オレの為に。」

イタチが善人であるとか、悪人であるとか論ずるのは無意味かもしれません。
人はある面においては善人であり、ある面においては悪人。誰もが皆そうでしょう。
ただ、イタチが弟想いであったか否かを問われれば、
それは弟想いであったといえるのではないでしょうか。
イタチの言う“演じていた兄”と“本性”――、
その二つを知って生きているのはサスケだけです。

「ただ…お前とオレは唯一無二の兄弟だ。お前の越えるべき壁として、
 オレはお前と共に在り続けるさ。」

優しい兄を演じていた――、でも心に無い言葉は言えません。
イタチは無意識のうちにサスケだけには心を開いていた面もあったと言えるでしょう。
それは“唯一無二”の兄弟という形で、イタチの口から出ているのです。
イタチ自身そのことに気づいていた可能性は高いでしょう。

「一族… 一族…。
 そういうあんたらは己の"器"の大きさを測り違え、
 オレの"器"の深さを知らぬから今そこに這いつくばっている。

とは言うものの、

「さあ来い! 弟よ!! 
 オレはお前を殺し一族の宿命から開放され本当の変化を手にする。
 制約を抜け己の器から己を解き放つ!
 オレたちは互いのスペアだ!! それこそがうちはの兄弟の絆なのだ!!」

自分自身の器の深さの底が知れているような言い方をしています。
サスケには自分の器の深さの限りをそれとなく語っているのです。
そもそもうちはの本当の高みを目指すイタチは、
“うちは”に結局縛られてしまっていて、
万華鏡写輪眼”を捨てて別の力を望むようなことはしませんでした。
ところがサスケは兄を超えるべく、万華鏡写輪眼を求めずして別の形で力を手に入れ、
そして今、こうして対峙し、死力を尽くして弟と戦っています。
イタチは何を思っているでしょうか?
サスケだけでなく、イタチもまた万感の思いを込めて戦っていたはずです。

「本当に…強くなったな……サスケ…」

憎むべき兄としてともに在り続けようとしたイタチ。
そうあろうとしたことも、ようやく結実することを悟ったのでしょうか?