370 『胸騒ぎ』

1.胸騒ぎ

「木の葉の里を作った、この像の二人の運命と同じように。」

終末の谷での戦い。
多くの人が予想した通り、初代と戦ったのはうちはマダラでした。
そしてそれは、里の誰しもが知る事実だった。
34巻、九尾のチャクラと対面したとき、うちはマダラのよう、
といわれたとき、サスケは知らないといって一蹴しました。
ですが、サスケも当然マダラを知っていたはず。
それを知らない、といったのはおそらくサスケの目的であるイタチに
マダラが関係があることを知っていた…という描写にもとれなくもありません。
南賀の神社本堂…そこにはいったい何が書かれていたのでしょうか。

再び終末の谷の話ですが、
二対の像が対立するように、それぞれの像に乗って対立するナルトとサスケ。
この構図はおそらくサスケとナルトが戦うのは宿命であった…
そんな風にも受け取れます。
初代の血族のナルト(おそらく波風)とうちは一族のサスケ。
初代はうちはマダラを倒すことに成功しますが、
ナルトはサスケを止めることは叶いませんでした。
冒頭で挙げたカカシの台詞は、二人の宿命を端的に表していました。

一方で九尾はミナトによって陰陽の2つにチャクラを分けられ、
“陽”をナルトに、“陰”をミナトによって屍鬼封尽されました。
そして四代目が息子のナルトに完成を託したある“術”。
その為に九尾のチャクラは封印されたのではないか、そう自来也は語りました。
物語は大きく動きだし、自来也とペイン…、
この二人が来週号でついにまみえそうな気がします。
自来也には死なないでほしいですが。しかし、この展開は…

2.トビとうちはマダラについて

蝦蟇の話にもあるように、うちはマダラは初代活躍時の人物で、
木の葉の里をつくった人物でもあった。
どういう経緯で戦うに至ったかは分かりませんが、
おそらくナルトとサスケのように、この二人にはつながり、そして信念があり、
対立したものだと思われます。どちらが悪でどちらが善というのもないでしょう。
しかし、現在まで生きている…というのは少し考えにくい。
と、自来也と話す蝦蟇も言っています。

その容姿はトビの風貌とはだいぶ異なり、
石像と同じく長髪、容姿端麗、そして左目から覗かせる写輪眼が描かれています。
ただ気になるのは34巻で九尾の妖孤が、
「うちはマダラのような禍々しいチャクラ」
と言ったこと。そして今回自来也の台詞にもあったように、
九尾を口寄せできたかもしれない、ただ一人の人物でもあった。

だとすれば、今の世まで大蛇丸のように、
他人の体に転生しつづけることで、その意志が生き続けてきたと考えられなくもありません。
そしてトビの姿がその現在形であると。しかし、

「全てが本来の形に戻るのだ…
 写輪眼の本当の力が…このうちはマダラの力が。」

とあるように、その力は完全ではなく、なおかつそれを元に戻すことを強く望んでいる。
もしもトビがマダラのオリジナルであれば、つまりマダラは転生してきたということですが、

  • 九尾を口寄せできる至上の力を持っていながら、大蛇丸にすらできる転生の術を失敗してしまった。

ことになりますし、しかも、「このうちはマダラの力が」という表現、
「この私の力が」と言った方が自然です。
これはうちはマダラがトビ以外の第三者であるかのような表現にもとれなくもない。
結論として、

  • トビはうちはマダラの力を何らかの形で手に入れた何者か。

である確率が非常に高い、と思います。
ヤマトは初代火影のDNAの研究によって生まれました。
ならばうちはマダラのDNAを研究する何者かが居てもおかしくはないです。

370話最後の描写は、トビは終末の谷のマダラの像に座り、初代の像の方を
その写輪眼で見るシーンで終わります。それは右眼から覗かせる写輪眼。
うちは一族はイタチとサスケだけかという鬼鮫の問いにイタチは答えませんでした。
力を欲して抜け忍となったうちは一族の何者かがいるんじゃないか…。
もちろんトビはうちはマダラそのものという可能性も否定しきれませんが。