被災地の方々に心よりお見舞い申し上げます。


今回の記事は『NARUTO-ナルト-』とは多少関係性が薄くなると思います。
というのもこの度起きた 東日本大震災*1 について
場末ですが、この場を借りて、
こみ上げる思いを綴らせていただきたいと思います。
こんな事を書くぐらいしかできない私自身も歯がゆいですが、
ダルイが言うように言葉が心(魂)を伝えるものだと信じて、
またそれが皆様の力となることを信じて書かせてください。

1.天災“東日本大震災について”

●2011年3月11日 昼過ぎ

マグニチュード8.8という巨大地震
観測された規模のもののなかで史上最大級とされる地震だそうです。
最大で震度7および震度6強弱による地震災害による倒壊。
最大で10 m 以上を超える大津波を筆頭に、
各地に大きな海の壁が押し寄せていきます。
そして相次ぐ化学工場、コンビナートなどの大火災。
まさに天変地異とも思われる自然の猛威を
テレビやラジオからは繰り返し伝えられます。
酷たらしい惨劇をこうも目の当たりにすると、
非常に胸が痛くなり、目を背けたくなる気持ちでいっぱいです。
私や家族は関西在住ですが東北地方にも親族がいます。
私は彼らについて幸いにも伝言掲示板通じて安否を確認できましたが、
安否についての登録がない方も多く、
しきりに安否情報を確認する不安な方も多いかと思われます。
あわせて、
たった一瞬で、この1日で、何もかも変わってしまった――
日本はどうなってしまうのだろう――
そんな急き立てる様な不安な気持ちを
被災者の方々もそうでない方々も
禁じえないのではないかと推察されます。


人間は自然に比べて脆い――ですよね。
人間<じんかん>万事塞翁が馬という諺にあるように、
禍福があざなえる縄の如く先行きが分からないのであれば、
良い意味でも悪い意味でも
この先の未来に目を背けるべきでないかもしれません。
私は『NARUTO-ナルト-』の記事にも努めて、
つながりや信念、拠り所、守るべき大切なものなどを主張してきました。
これらは人間として生きている中で
尊厳ある生き方として必要になってくるものでしょう。
胸を張って“生きてきた”と自分の人生に誇りがもてるものです。
ありがたいことに、このような緊急事態に際し、
政府をあげて、あるいは被災地外の地域や国外から、
まさに支援というつながりの手が差し伸べられようとしています。
しかしこのつながりを通してでも、
もう二度と取り戻すことはできないものもあるのだと、
しかもそれが突如にして、
全く前触れもなく起こってしまうこともあるのだと――
痛感せざるをえない時が人生には多くあります。
それが、その大切なかけがえのないものだったら――
本当に自分を見失ってしまうことでしょう。


理由あるべきもの、納得できるものならば
まだ溜飲というものは下がると思います。
でも、そう――こんな“天災”という形で、
運命もへったくれもない、
恐ろしく理不尽な力でねじ伏せられることもあるのです。
もはや悲しみや怒りをどこに向ければいいのか、
やり場のない気持ちと虚無感でいっぱいになります。
でもそれでも夜は明けていきます。そんなこと関係ないように。
何もかもがしっちゃかめっちゃかで、何もかも失ってしまった――
そんな中でも自分という存在が在るというなら、
それを肯定的に受け止めて前を見なければいけないでしょう。
でも譬<たと>えそうだろうと、
なかなか前を見ることなんてできやしません。
私もそうです。


でも、やっぱり、
前を見て、希望を捨てないでほしい
無念にも亡くなった人たちの想いを汲みつつも、
ほかすもんもない、くらいな気持ちで、
この地震を乗り越えていってほしいです。
頑張っている人間に頑張れと言うくらい不躾な、
応援にもならない稚拙な表現かもしれませんが、
私なりの心よりの応援として、
この言葉を送らせていただきたいのです。

2.天災“戦禍”

濁流があたりを呑み込んで、街の面影はありません。
荒んだ光景に乗じて、そんなときは治安が悪化します。
なかには心無い人もいてるようで、
アメリカではハリケーンカトリーナ”のときに
犯罪が横行したこともあったようです。
NARUTO-ナルト-』でも、雨隠れを彷徨い歩く長門たち孤児を
本来手を差し伸べるべき大人、忍の残党が彼らを容赦なく襲います。


多分こういった人々は絶望に呑まれてしまった人たちです。
光を失って、それと同時に自分を見失ってしまった人たちです。
さながらサスケのように――。
日本ではその気質ゆえそんなことはあまりないと信じたいですが、
こういうときこそある程度は警戒を怠らないことも必要となる――
そんな呟きがtwitterにありました。
悲しみに呑まれずに自分を保つことは、
非常に辛いことだと思いますが、輪をかけて、
自分を守り、そして他の人に手を差し伸べること等、
あらゆることがこのような局面で求められると思います。
その全てに答えようとすれば、疲れから自分が揺らいでしまう。
現実とはまったくもってうまくいかないものです。


でも、もがいているうちに光は必ず見えてくるはずです。
イルカは九尾という“天災”に対し、
必死に自分を守ろうとする父親の背中を見ました。
もちろん“天災”をひっくり返すことはできませんでしたが、
それで終わったわけではありません。やがて成長し、
ナルトに自分が絶望の中で見た光を見せることができました。
これも“つながり”ですよね。


暗闇の中にある僅かな光を見失わず、
努めて生きていけるように私も尽力していきたいと思います。

*1:当初は東北地方太平洋沖地震とされていましたが、新潟長野直下地震も起きたためこれも含め