479 『イザナギ

1.イザナギ(1)

吐血するサスケを心配する香燐ですが、
ダンゾウの術が発動した以上、
冷静にこの術(イザナギ)を分析する姿勢を見せます。

イザナギ――。ほんの僅かな時間だけ…、
 術者のダメージや死を含めた不利なものを夢に描きかえる事ができ――
 そして術者の攻撃などで有利となるものは現実にできる。
 幻と現実の狭間をコントロールできる――
 己自身へかける究極幻術。

とトビの解説。
ダンゾウを射抜く須佐能乎の矢も虚しく、
またダンゾウは刹那だけ掻き消されるように霞んだかと思えば、
すぐにその実体を現します。

「…そして…イザナギを使用したその眼は光を失い、
 二度と開く事はない……。」

本来であれば一瞬ほどの短い時間なのでしょう。
望まない事象を全瞳力をかけて否定する――そんなニュアンスが感じ取れます。
その代償は大きく二度と光明を感じることができない眼となってしまう。
私の脳内補完(^_^;)では、自分に幻術をかけるということなので、
危機的状況を潜在能力を爆発させ逃れることができ、
どんな一分の好機をも正確にかつ迅速に行動できるようにする

ということではないかと考えていますが、――ちょっと無理があるかも。

「が…あの眼の数…。イザナギの効果時間には個人差がある…。
 それを無理矢理延ばすために考案した大蛇丸の実験物に間違いないが…。」

トビの推論では、腕にある十の写輪眼は、
その限界時間を延長するためである――とのものです。

「マダラめ…参戦してくる様子は無さそうだが…、
 奴とやり合う力も残しておかねばならん…。
 まだ会談で使った右眼が復活するまで時間もかかる…。
 しかし…、この“須佐能乎”…感嘆にはいかん。
 あの矢の攻撃…かわすのは難しい…。
 イザナギを解く訳にもいくまい…。」

シスイの右眼はどうやら十の写輪眼にカウントされておらず、
やはりダンゾウには少なくとも十一個の写輪眼があります。
ダンゾウはトビを警戒しつつ、イザナギの残り時間を気にかけ、
一分間という時間でサスケとの勝負をつけようとします。
まずは口寄せ。夢を食らうといわれる獏<ばく>を召喚します。
獏がその大きな口を開き吸引攻撃。
サスケの背後、風下に立って、
風遁・真空連波によっていくつもの風の刃を放ちます。
もちろん須佐能乎に阻まれますが、

「“須佐能乎”の隙間……ここだ!」

どうやら“須佐能乎”は完全防護ではないらしく、
間隙があるようで、その隙をダンゾウがつくための陽動でした。
サスケもダンゾウの狙いに気づき、獏の吸引を利用して、
獏の口へ威力が跳ね上がった火遁・豪火球を放ちます。
吸い込みがとまり、須佐能乎によってダンゾウは簡単に反撃を受けます。

「あの眼…約60秒ごとに一個ずつ閉じていく…。
 その間ダンゾウのチャクラは急速に減り続けている…。
 つまりあの右腕はこのおかしな術の発動時間を表してるって事で
 まず間違いない!」

という香燐の見解ですが、前回の記事【サスケVSダンゾウ4・覚醒】*1で、





10個の目が全て閉じるまでを限界時間T_{10}とすると、

ダンゾウのこの術における限界チャクラ量Q_{best}を次のように表せると考えられます。

Q_{best}=\int_{\qquad 0}^{\qquad \qquad \qquad T_{10}} \, q(t)dt




閉じていく眼のわけを上記のように考えるなら、

この術の弱点は最大限界チャクラ量Q_{best}と、

時刻t=T_k \, (k=1,2, \cdots ,10)で、

チャクラが減っているという状況を写輪眼が瞑ることで表してしまうことといえます。




としましたが、この推測はどうやら正しいようです。
ここでq(t)は時刻tにおける負担チャクラ量を表しています。
そしてここで定めた時刻t=T_k \, (k=1,2, \cdots ,10)は、
実は60秒ごとを表しているということなので、

T_k=60k \, [s ]

ということになり、kは瞑った写輪眼の数を表します。

「あと四つ………!
 つまり約240秒…、約4分が術の限界時間…!
 ……でもまだ眼のストックがあるかもしれない…。」

つまり現時点では6つの写輪眼を瞑っていることから、
イザナギを発動している累積時間はおよそ360秒で6分となります。

「ダンゾウはこの術が発動しているうちに
 サスケを倒そうとやっきのはず。
 相打ちでさえダンゾウの勝ちになる!」

香燐がダンゾウの狙いをサスケに伝えようとした時に、
サスケは何やらダンゾウに喋りかけます。

「その右腕の10個全てが閉じた時…、
 お前の術が解けるようだな。」

「お前…イザナギの事を知っていたのか?」

どうやらサスケは禁術とされていたイザナギのことを知っていたようです。
本来と比べて持続時間が長いことなどから、
イザナギかどうか判断しかねていた節があるようですが、
ダンゾウの言葉からイザナギという術名が出たことで確信した様子。
カマをかけたというわけです。
対策としては長期戦に持ち込むこと。
しかし、ただ長期戦に持ち込んだのでは、
ダンゾウが術を解いてチャクラの回復を図ってしまう。
術を破るには発動から限界時間まで、
その隙を与えない攻撃で攻め立てなければならない。
早い段階でこのことにサスケは気づいていました。
だからこそサスケは須佐能乎を解かなかったのです。
風遁を纏わせたクナイと雷遁の刃。
それぞれを握るものが互いを貫きます。
果たして決着はついたのでしょうか――。

2.イザナギ(2)

さて、私はあまりNARUTO-ナルト-自体を批判的には書かないですが、
しかしイザナギというこの術は…少々腑に落ちないのです。

  • 術者が望まない事象は死をも超越して否定し、術者の望む事象を具現化する能力

ペインの輪廻天生の術やチヨバアの秘術、
また呪いを介して不死身を有する飛段の能力など、
生も死も、あまつさえ地水火風という自然や時空さえも忍術という形で、
このナルトの世界は全て"チャクラ"という事象で成立(あるいは擬似成立)し、
それを忍者であれば誰でも操ることができるという世界観は
NARUTO-ナルト-という漫画の特徴ではありますが、
何もかにもチャクラで片がついてしまいそうな感じがして、
またその基となるチャクラが扱えるからどんな"魔法"もできてしまう
という嫌いは私自身としては正直あまり好むところではないのです。
皆の書で岸本先生と富樫先生が対談するコラムがありますが、
そこで富樫先生から岸本先生は

富樫(先生):*2
「自分の中で崩せないと思うルールを崩さなければ、
 どんな変化を加えても大丈夫。」

というアドバイスをもらっていることもありますし、
世界観をあまり崩壊させないように岸本先生も考えているとは思いますが、
しかし原理の説明がないまま、つまり術者の工夫が分からないまま、
超然とした術を扱うスタイルが増えてしまっている――。
移植という借り物の力をもつ者ですら到達可能とは、
漫画の世界の中とはいえやはり何か釈然としないものがあるかもしれません。
まぁ…、とはいうもののこれは一読者のエゴであって、
NARUTO-ナルト-』はやはり楽しい漫画なのですが。

*1:【サスケVSダンゾウ4・覚醒】

*2:NARUTO-ナルト・秘伝『皆の書』076P