1.イタチの微笑み(1)

イタチの真実――それは、弟とそして平和のためでした。

「一族などと…ちっぽけなモノに執着するから、本当に大切なモノを見失う…。
 本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。」

本当に大切なモノを守りきったわけです。
その観点に立てば、不可解だった部分も見えてくるものがあるでしょう。
特に、366話『兄弟』における次のやりとりの後のイタチの笑みです。

「何故そこまで弟にこだわる? あいつは抜け忍だろう。」
「少なくともお前なんかより…、
 アイツのことを兄弟だと思ってるからだ…!!!」

イタチは常に自分の信念の中心にいた弟のことを兄弟だと思わなかったことはないでしょう。
ですから、自分よりもサスケを兄弟だと言い切るナルトが可笑しかった、
という部分もあったかもしれません。
しかし、この笑みの大部分はそんな嘲りに富んだような、浅はかで淡白なものではなく、
もっと奥深い、温かさをもっているような心象を受けます。

2.イタチの微笑み(2)

「今の…貴様など…殺す価値も無い。…愚かなる弟よ……。
 このオレを殺したくば恨め! 憎め!
 そしてみにくく生きのびるがいい………
 逃げて…逃げて…生にしがみつくがいい。
 そしていつかオレと同じ"眼"を持ってオレの前に来い」

イタチは弟を強くするために、自分を復讐対象とするように仕向けたわけですが、
それはサスケを“復讐”に縛り付けてしまうことであることを理解していたはずです。
イタチはサスケに次の様にも言っています。

「力を持てば孤立もするし、傲慢にもなってくる。
 最初は望まれ求められていたとしてもだ。」

“復讐”に縛られ、強くなることを追い求める結果、
孤立していってしまうこと――。
あの惨劇の場で、重い責任と背徳の念を背負いながら、
一緒に連れてはいけない最愛の弟をどのように生きのびさせてやるか、強くさせるか、
イタチは自分が始終悪役に徹する選択をした、否、しなければならなかったわけですが、
生き別れた後の弟の様子を心配していたはずです。
孤独…その重さは、自ら自分の一族の幕を下ろす任務を遂行した身として、重々理解していた。
――だからこそ、弟を追いかけるナルトの存在があって、
ほっと胸をなでおろすような、そんな安堵のようなものがあったはずです。

「お前もオレと同じ万華鏡写輪眼を開眼しうる者だ。
 ただしそれには条件がある。
 最も親しい友を…殺すことだ。」

そして何より、そんな親しい友であろうナルトをサスケが殺してなかったこと。
力を求めるあまり、大切なモノを見失い、
弟が見境ない力の求道者と成り果てていないことに対しての安堵です。
復讐者である弟に敗れ、その時、弟に新しい力を与え、そして散る。
そのストーリーに向かって円滑に進んでいることに対する安堵でもあったでしょう。