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今回は、重吾が大蛇丸のところに来た年齢について考えてみます。
1.君麻呂と重吾
【君麻呂】
〈誕生日〉6月15日
〈享年〉15歳
サスケ奪還任務の際に君麻呂は死亡したので、
このときの君麻呂の年齢が享年となったわけです。
ここで綱手がサクラを弟子にとって3ヶ月の時間経過を口にしているので、
サスケ奪還編は第一部終了のおよそ3ヶ月前、すなわち、
- 年の3月9日〜4月6日*1
であることが言えます。
これは年の君麻呂の誕生日を過ぎていません。
つまりこの時期に享年15歳が定まるなら、
- 君麻呂は年に15歳の誕生日を迎えた。
ことになります。
重吾の年齢も誕生日も分かりませんが、39巻51ページの描写によれば、
幼少期の君麻呂と重吾の背格好などが似ていることから年齢は近いと思われます。
したがって年の重吾の年齢をこの年の誕生日が来れば、
歳
とおくことにしましょう。は君麻呂との年齢差を表します。
ただしは整数であり、場合によっては負の値も取りえます。
2.重吾と大蛇丸
大蛇丸の里抜け
- 年10月10日〜12月26日
を導きました。*2
さて、香燐の説明によれば、重吾はその自らの殺人衝動を抑制するために、更生するために
大蛇丸のもとへ自ら出向いたというくだりがあります。
このときなぜ“大蛇丸”でなければならなかったのか。
重吾は大蛇丸が何をやっているか知っていて、自分から捕まりに来たと推測できます。
大蛇丸の人体実験が盛んになったのは、14巻の三代目の回想にもあるように、
近頃、里の下忍から中忍、果ては暗部の者でさえ行方不明者が続出している…。
さらに最近アナタの様子がおかしいという情報がありましてね………
〈近頃〉や〈最近〉というワードから大蛇丸の里抜け直前の出来事と見なせます。
とすれば、彼に関する噂を聞きつけるのも当然この時期にあたらないといけないわけです。
重吾が自分から捕まりにきたのもこの時期とするのが相応しいでしょう。
とするなら、重吾のこのときの年齢は、
歳 〜 歳
となります。
には適当な数字を入れればいいんですが、如何せん幼すぎる。
に大きい数字を入れてしまうと、君麻呂との関係が狂ってしまう。
したがって、重吾が幼いときに自らの意を決して大蛇丸のところへ来た――と考えられますが、
逆にが小さすぎても大蛇丸のところへ来るのが幼すぎる気もします。
君麻呂との関係を考えれば、というのはどうでしょうか?
君麻呂との年齢差はどんなに離れていても5歳ほどが適当だと思われます。
つまり君麻呂との年齢差が5歳で、7歳〜9歳の頃に大蛇丸のところへ自分の意志で来た――。
(仮にとすれば、一部終了で21歳、二部現在で23、24歳となります。)
幼かった重吾は、その力の衝動を自分で抑えることができず、幼いながらも修羅のように人を殺してきた。
おそらくそんな重吾を周囲の人間は疎んだか虐げたことでしょう。
と同時に自分の姿まで変えてしまう殺人衝動による特異な力を激しく憎むに至った。
そんな矢先に大蛇丸の噂が飛び込んできたのだと思います。
自分を変えてくれるかもしれない、でも死ぬかもしれない。
揺れつつも藁をもすがる思いで大蛇丸のところへとやってきた――のだと思われます。
逆に幼かったがゆえに、大蛇丸の噂を聞いて、大蛇丸ならなんとかしてくれると思ったのでしょう。
天秤の重吾――、いったいどのような由来でこの名前が来たのかは、
まだまだ明かされそうになさそうですが、
このように心の揺れ動きが激しい様を、
天秤の皿のどちらかが少しでも重ければ傾いてしまう様になぞらえて、
つけられた通り名なのでしょうか?
水月の言っていた〈前とは違う能力〉、すなわち、
呪印でない力を重吾は持っているとはずです。
これが〈天秤〉と関係があるのでしょうね。
3.アンコの呪印再び
さて前回はアンコの呪印を下忍、中忍に時期を分けて考えてみましたが、
重吾が呪印のオリジナルであるとするなら、
- 年10月10日〜12月26日
よりアンコが年の10月24日に12歳の誕生日を迎えていることから、
アンコが中忍となっていた時期、あるいは中忍となる直前の時期が適当だということがわかります。そうすると、やはり
- アンコが呪印を授かったのは大蛇丸の中忍昇格祝い
が現実味を帯びてきます。