1.長門の変化

幼少期、長門は弥彦を守ろうとして、自身の暴走した力で手にかけてしまった岩忍ですら、

「ボクのしたことは間違ってて…!ホントはもっといい方法が…!!」

と言って後悔をしています。それだけ心優しかった。
しかし、現在の長門は、

「もちろん殺る。今さら未練も無いだろう…侵入者を殺すためにこの体で出張ってきたんだ。案内しろ」

自来也に対してまるで正反対の人物像です。

半蔵に纏わる者全てを屠るのも厭わない残忍さ…。
刃の心…。


彼がここまで変わってしまったとするなら、須らく何か大切なものを失ったからではないでしょうか?

2.喪失とその代償

確かに人は何年と月日が経つうちに変化していきます。
それは本人が変わりたい、強くなりたいと願い努力してきた改革の証でもあり、
また本人を取り巻く環境がその人の人格形成に与えた痕跡でもあり、
それらは皆、人が刻一刻と成長していることを表しています。
昔馴染みの旧友に偶然街角で再会を果たしたとき、
昔と変わったな…という印象を私たちが受けるのは、
それだけの長い年月をかけて、その人がその時間を過ごしてきたということです。
至極当たり前なのですが、またそれだけの時間がどれだけその人に影響を与えたか、
それだけの大きな時間がどれだけ私たち人間に重たかったか如実に表しているものです。
しかし、多くの時間それだけで根本的なもの――、
私たちが持って生まれた性質を完全に覆せるかというと、そうではない。
私たちは日々成長を続けながら、それでもやはり変わってない自分を心の中で感じている。
その善し悪しに関わらず〈変わらない自分と変わる自分〉、〈変わってしまう自分と変えない自分〉
をうまく付き合わせつつ、私たちは日常を過ごしているわけです。
それが「自分」を生きることであり、「自分」が分からなくなることでもあり、
これがまた難儀なことなのですが――。

ところが、私たちの根本すら覆してしまう「きっかけ」となる事例は数多くあります。
その代表の一つが、「喪失」です。
大事な人を失うことによって、人は良い意味でも悪い意味でも変わるのです。
それがその人に強すぎるショックであればあるほど、根底から変化してしまう。
夜叉丸を信じて疑わなかった我愛羅は、真実を知ったと同時に、愛を「喪失」し、
憎しみに包まれてしまいました。
サスケも一族惨殺という状況下、
「強く厳しい父」「優しかった母」そして「自分の信じていた兄」を喪失してしまった。
そしてサスケも根本を憎しみに書き換えられてしまったわけです。

人は大きな「喪失」によって、その人生を変えられる――といってもいいでしょう。
これはマイナスともプラスとも受け取れます。でも多くはマイナス因子として作用し、
その人を悪い意味で「変えてしまう」のはご存知の通り。
そして大きな喪失の後には何か大きな覚悟や決意をすることが往々にしてあります。
我愛羅が自らの額に「愛」を刻み込んで、「自分だけを愛する」決意をしましたね。
一方でサスケは

「兄さん… アンタを殺すためなら、この先どんな闇だろうと、オレは突き進んでやる!
 どんな事があっても力を手に入れてやる!!」

という「憎しみ」を貫く決意をしたのでした。

3.長門の喪失

長門や小南は、かつて自分たちの面倒を見てくれ、
生き延びる方法として忍術を教えてくれた恩人であり、別れるときに涙を流すほど慕っていた自来也
何のためらいもなく殺すと言い切ったのはなぜでしょうか?
そこにあるのは、先述したとおり「喪失」と「決意」だと思われます。
以前、【雨隠れとペイン2】*1にて、
ペインが半蔵の一族を屠ったのは、なんらかの私情があったのではないか――と考えました。

「ボクはただ二人を守りたい。どんなに痛みが伴うことがあったとしても。」

と373話で語っているように、長門にとって二人がとても大事な存在だったのが窺えます。
そしてペインとなった長門が、半蔵に纏わる人々を容赦なく殺したのは、
ただペインが残忍だった、残酷だったというのでなはなくこのことに起因していると思います。

「でも…そんなのムリだってことくらい分かってる だから戦争は無くならないんだ!
 雨はキライだこの国はいつも泣いてる…弱虫だ。
 ボクがこの国を変えてやるんだ。みんなを守る!」

そう弥彦が言ったこと、長門もおそらくそのまま継承していると思います。
雨隠れの里でクーデターを起こしたのも、こういった経緯があったからです。
――が、それがあの心優しかった長門を虐殺を厭わなくなるくらいに変えてしまうには足りない。
長門にも大きな喪失があった。「暁発足」「世界征服」すら決意をさせる――。

考えられうるのは弥彦の喪失ではないかと思われます。

「あれから数年お前たちの名をちらほら聞くようになった。いくつかの紛争で名を売ったがその後死んだと聞いた…」

自来也の言葉にもあるとおり、
ある戦いで弥彦、小南、長門の三人は瀕死の重傷を負ったが、弥彦だけ死んでしまった――
あるいはその戦いで、瀕死の小南、長門への攻撃を弥彦が庇ってオビトのように亡くなった――
(小南、長門の二人は何らかの形で生き延びた。)
とも考えられます。

「先生はあれからの私たちを知らない。」

と小南の言葉にあるように、この「あれから」とは
自来也と別れた以降」を指すように思われますが、
「彼らが死んだと噂される以降」ととらえることもできます。
彼らにとって、最もかけがえのない大切な友達の一人を失ったこと。
それが長門ひいては小南をここまで大きく変えた理由だと思います。
戦争をなくしたい、この国を守りたいと言っていた弥彦の遺志を継いだ。ここで、

  • クーデターの際に半蔵にまつわる人々を皆殺しにした本当の理由は何か?

(危険因子だからというのはここでは表層的な理由として捉えています。)

  • ペイン壱の弥彦そっくりな身体は何か?

という二つの疑問に対して、
後者はペインが身体を自在に乗り換えられる術(象天の術など)や輪廻眼の能力など
追々明らかになってくることだと思われますが、
前者は様々な予想が打ち立てられます。
弥彦が死んだのは半蔵のせいだった――とすれば説明がつくかもしれません。