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1.神への成長
ペインの話によれば、弥彦はやはりすでに何年も前に亡くなっていました。
「あぁいたなそんなやつも。とっくに死んだよそんな奴は。」
と語るペインに、昔見た長門を重ねながら戸惑いを隠せない自来也。
そして、友への想いを捨てた長門に嘆きつつ、ペインの目的を聞き出します。
ペインが尾獣を集める目的は、その尾獣を用いて新たな禁術をつくりあげ、
戦争だらけの世界に秩序をもたらそうということ。
「人々が、国が、世界が、痛みを知るのだ!!」
戦争をしている最中にある国々は強大な力(術)を手にすれば使わずにはいられなくなる。
そしてその術をどこかが使ったが最後、億単位の人々が一瞬にして消滅し、
そのことが人々を恐怖させ、その恐怖が阻止力となり、人々そして世界は安定する――と。
痛みによって、何も知らなかった子供は人(大人)へ成長し、
さらなる痛みによって人から神へと成長したものが自分である――とペインは言います。
そして神となった今、自分の思想は崇高なものであり、
成長しきれていない愚者の自来也には、理解できないだろう――と。
世界は成長しきれていない、その為に神であるペイン自ら痛みを教える――。
口寄せされたザリガニは泡を吹くことで、小南から油を洗い流しましたが、
自来也の乱獅子の術によって潰され消えてしまいます。
ペインは、新しくカメレオンのような生物を口寄せしますが、
一方で変わってしまった長門に怒る自来也は、“ガマケンさん”を口寄せします。
(文太に健とくれば、仁義なき…)
2.戦争との対比
今回のペインの目的。そして神。陳腐な展開だと揶揄する方もいらっしゃるでしょうが、
岸本先生は何を伝えたいのでしょうか?
ベタですが、これはお察しの通り、原子爆弾、核兵器との対比だと私は受け止めました。
誰かが強大な力を持てば、その集団は安定する。
ところが、これはその集団の個数が「極端に」少ないときのみに成り立ちます。
世界というスケールにおいては全く通じない。
むしろ崩壊する可能性すら孕<はら>む問題です。
ある国Aが強大な術を持ったとします。そして戦争を終わらせるためにその術を発動。
敵国Bは壊滅的な打撃を受けます。何百万、何千万、ペインの言葉を借りれば億単位の人間が死ぬわけです。
その戦争は敵国Bの敗北を持って終了するように思われます。
強い国Aに専制統治され国Bは国Aが願うならAを恐れることによって捏造された「平和」への歩を進めるわけです。
ところがある国Cが国Aと同じ禁術の開発に成功し、Aと対等な力を持ち始めました。
当然AとCは牽制しあいます。はじめのうちは同盟だ何だとうまく均衡がとれていることでしょう。
ところがふとしたきっかけで、その均衡は崩れ去り、AとCそれぞれの思惑が交差しあい、
運が悪ければ結局戦争へと発展していく――わけです。
AとCの戦いは強大な力を持ったものどうしの戦い。
その戦いには弱小な国々であるD,E,F…他、様々な国々がAかCかにつくような選択を余儀なくされます。
その戦いはAとCの戦争だけにとどまらず、ありとあらゆる地域を巻き込んで、
大きな憎しみを生み、相手を殲滅することだけが目的となっていきます。
そうなったが最後。お互いに切り札を発動し、人間だけでなくあらゆるものを消し去ることになるのです。
大きな力を持つことで均衡を保ち続けることなど途方もなく困難なことなのです。
終わらせたはずの世界大戦は色々なところに波及し、民族間紛争を引き起こしたり、
テロを引き起こしたり、それが巡りめぐってまた戦争の引き金となり、防衛と称し核兵器を導入する国、先制攻撃する国…。
…結局悪循環は変わらない。
そんなこんなで最終的に全ての国々がこの核兵器という名の〈禁術〉を手にしてしまったら、どうなるでしょうか?
目に見えています。
原子爆弾が投下されたからといって、
それを畏怖して、世界中“すべて”の国々が平和になったでしょうか?
違いますね。
むしろその原子爆弾、核兵器を持とうとする国々すら出てくる。
そして悪貨は良貨を駆逐する。
最終的には世界の均衡は寸分の狂いすら許されない状態になるでしょう。
そしてこれらが一斉に暴発すれば…恐ろしいことになります。
ペインが間違っていることは明らか。
蜊蛄<ザリガニ>を口寄せしたペインにぴったりの言葉があります。
『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』
人はそれぞれの身分や能力に相応した考えや行いをすること。
なら自ら神と称するペインのその独善的な行いが神のそれであるか?
いいえ違います。なぜならペインは間違いを犯す“人”から脱しきれていないからです。
『驕る者久しからず』――、独善的で横暴を振舞うものの結末は…ご存知ですね。
それを自来也がどうやって止めるのか、諭すのかが見どころでしょうか。
「怒りに溢れた血の涙ァ! 三忍語りて仙人に! 名木山の蝦蟇妖怪!! 自来也様たァ〜うぐっ…!」
かつての師として引導を渡すべき時――。うぐっ…はご愛嬌。
神などでなく、所詮驕り高ぶる人であることを気づかせるべき時。
「戦争は絶対に無くならない。理由は後付でいい…。本能が戦いを求める。」(36巻178ページ)
と自分自身でも言っていますね。ペインは“神”ではなく“人”であることを。